横手市平鹿町には、明治時代の大地主、伊勢多右衛門(1833年~1914年)が建立した「忠猫(ちゅうびょう)」と刻まれた碑がある。慈善家としてしられた多右衛門は、凶作などで困窮した民衆を救うため、感恩講(民間救助機関)を組織し、倉庫に米を備蓄したり、人々に憩いの場を提供するために私財を投じて浅舞公園の工事を行ったりした。しかし、大量に発生した野ねずみが倉庫の米を食いあさり、公園の樹木や側溝、堤などまでもが破損。計画は頓挫してしまった。
すると多右衛門が飼っていたメス猫が、主人の願いをくむようにねずみを退治しはじめた。猫は、1907年(明治40年)2月15日、13歳で亡くなるまで、日夜ねずみ退治に精を出したという。多右衛門は、この忠義な猫の功績を後世に末永く伝えようと庭園だった浅舞公園の片隅に碑を建立した。
ボランティア団体「忠義な猫の会」は、この忠猫の話を地元の人だけでなく全国的に知ってもらい、それがまちおこしになればと忠義な猫の石碑などを保存する「忠猫の館」を建るためのクラウドファンディングを興し、無事オープンにこぎつけた。忠猫碑は、浅舞公園に隣接する浅舞八幡神社の境内に移設されている。
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